プログラマ行進曲第二章

主にソフトウェア関連の技術をネタにした記事を執筆するためのブログ

村上春樹のエルサレム賞受賞時のスピーチ全文和訳

一部のブログ界隈ではもう既に全文和訳がなされているので多少旬を過ぎた感がありますが、村上春樹氏のスピーチの原文を読み、非情に感銘を受け、「他の人が訳していようが関係ない! 自分で訳してみよう!」と思ったため、自分で訳してみたのをあげてみようと思います。

訳出に当たり、以下の2点を原則としました。この2点は相反する所もありますが、出来る限り両立するようバランスを取ったつもりです。

  1. 元々がスピーチのため、「読んで理解できる」のではなく「聞いて理解できる」訳に出来る限りすること。
  2. 原文の「文法的な構造」や「単語の意味」を最大限尊重して訳すこと。

このスピーチに関して本当に書きたいことは実は別のところにあるのですが、それはまた別の機会に致します。

和訳をしたのはHAARETZ紙に掲載された原稿です。和訳するにあたり、何よりも自分の力で訳そうという思いから、一通りの文章は独自に訳しておりますが、文法的に分からなかった所や日本語の言い回しが思いつかなかった所等は、以下のブログの方の訳を参考にさせていただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

それでは村上春樹氏のスピーチの訳を以下に掲載します。明らかな誤訳や間違いを見つけましたら、コメント等で指摘をお願い致します。

いつも卵の側に
村上春樹


本日、私は小説家としてエルサレムに来ました。つまり、嘘を作り出すプロとしてここにいます。


勿論、小説家だけが嘘をつく訳ではありません。ご存知のように、政治家達も嘘をつきます。外交官や軍人も彼ら特有の嘘を、時と場合に寄ってはつきます。中古車のセールスマンや肉屋、建設業者も同じです。ですが小説家は他の人と違い、嘘をついてもモラルがないと批判されることはありません。どういうことかというと、小説家の嘘が大きくてうまいほど、そして小説家がより巧みに嘘を作り出すほど、小説家は人や評論家から賞賛されます。何でそうなるのでしょうか?


私の答えは次のようになります。すなわち、巧みな嘘をつくことで - 真実に見えるフィクションを作りあげることで、小説家は真実を新たな場所に持ち出し、その真実に新たな光を当てることが出来ます。多くの場合、真実をそのままの形で捉え、正確に表現することは事実上不可能です。そのため、我々小説家は、真実を隠れている場所からおびき出すことでその尻尾を捕らえようとし、フィクションの領域へ運びだし、フィクションの形をしたものに取り替えます。しかし、このことを達成するために私たちはまず、私たちの内面のどこに真実があるのかを明確にしなければなりません。これは、良い嘘を作り上げるのに大切な資質です。ですが今日、私は嘘をつくつもりはありません。出来る限り正直でいるつもりです。私が嘘をつかない日は年に数日ありますが、今日はそのうちの一つになります。


ですから私に真実を語らせて下さい。実に多くの人が「エルサレム賞を受け取りに行かないでくれ」と私に言いました。「行ったら私の本の不買運動を起こすぞ」と警告した人もいました。


その人たちがそういったのは、勿論、ガザで勃発している激しい戦闘のためです。国連が伝えるところでは、1000人を超える人が封鎖されたガザ市で命を落としました。死者の多くは非武装の市民 - 子供や老人です。


今回の賞の知らせを受けた後、私は何度も自分に問いかけました。「こんな風にイスラエルに赴いて文学賞を受け取ることは適切なことなのだろうか?」、「紛争の片方を支持したという印象を、圧倒的な軍事力を解き放つことを選んだ国家の政策を支持したという印象を作り出してしまうのではないだろうか?」と。勿論、私はそんな印象を与えるつもりはありません。私はどんな戦争にも賛成しないし、どんな国家にも肩入れしません。勿論、私の本がボイコットに晒されるのを見るつもりもありません。


だけれど、注意深く考えた後、最終的にはここに来ることに決めました。私がそう決めた理由の一つは、あまりにも多くの人が全員「そんなことをするな」と私に言ったことです。多分、多くの他の小説家と同じく、言われたことと正反対のことをする傾向が私にはあります。「あそこに行くな」「そんなことをするな」と言われた時 - 警告された時には特に - 私は「そこに行き」「そんなことをし」たくなるのです。これは小説家としての私の性質に根ざしているとあなた方は言うかもしれません。小説家というのは特別な人種で、彼、もしくは彼女は、自分自身の目で見たり自分自身の手で触ったものでなければ心から信じることが出来ないのです。


今申し上げたこと、それが私がここにいる理由です。私は距離を置くことよりここに来ることを選びました。見ないことより自分で見ることを選びました。何も話さないことよりあなたたちに話すことを選んだのです。


だからと言って、私はここで政治的なメッセージを伝えようと思っているわけではありません。勿論、正しいことと間違っていることについて判断を下すことは小説家の最も大切な義務の一つです。


しかし、その判断をどのような形で他人に伝えようとするかということは各々の小説家の裁量に委ねられています。私の場合、その判断を物語の形に、超現実に向かおうとする物語の形にすることを好むのです。ですから、私は今日あなた方を前にして直接的な政治的メッセージを伝えるつもりはありません。


ですが一点だけ、非常に個人的な話をすることをお許しください。小説を書いている時、私が常に心がけていることがあります。私は小説をあえて一枚の紙切れに書いて壁に貼付けることまではしていません。むしろ、書いたものを私の頭の中にある壁に刻み込むのです。つまり、こういうことです。


「高く堅固な壁とその壁に向かったら壊れてしまう卵の間では、私は常に卵の側に立ちます」


そうです、どれだけ壁の方が正しくて卵の方が間違っているとしても、私は常に卵の側に立ちます。他の誰かは、何が正しくて何が間違っているかを決めなくてはならないでしょう。多分、時や歴史が決めることになるでしょう。壁の側に立つ作品を書いた小説家がいるとしたら、その小説家にどんな理由があるにせよ、そんな作品に何の価値があるのでしょうか?


このメタファーは何を意味するでしょうか? ある場合には、このメタファーはあまりに単純で明快です。爆撃機や戦車やロケット、白リン弾が高く堅固な壁です。卵というのは、それらに押しつぶされ、燃やされ、撃たれている非武装の市民です。これが、このメタファーの一つの意味になります。


ですが、このメタファーの意味はそれだけで全てではありません。もっと深い意味を持っています。こんな風に考えてみてください。私たち一人一人は、大なり小なり、卵なんです。脆い殻に覆われたただ一つの代え難い存在なんです。私にも当てはまりますし、あなた方にもあてはまることです。そして私たち一人一人は、多かれ少なかれ、高く堅固な壁に直面しています。その壁には名前があります。その名前とは「システム」(The System)です。「システム」というのは私たちを守るためのものですが、時として「システム」は生命を持ち、私たちを殺したり、私たちが他の存在を殺すよう仕向け始めます。 - 冷たく、効率的に、システマティックに。


私が小説を書く理由はただ一つ、一人一人の魂の尊厳を表に出し、光を当てるためです。私たちの魂が「システム」の網に絡めとられて傷つけられないように警告を鳴らし「システム」に光を向け続けること、それが物語の目的です。物語を書くことで - 生と死の物語・愛の物語・人を泣かせたり、恐怖で震えさせたり、笑いで揺り動かしたりする物語を書くことで、一人一人の存在がただ一つのものであることを明らかにし続けようとすることが小説家の仕事であると、私は心から信じています。だから我々小説家は、来る日も来る日も、大真面目にフィクションをでっち上げるのです。


私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、副業でお坊さんもしていました。父が大学院に在籍していたとき、軍に徴兵され、中国の戦地へ送られました。戦後に生まれた私は、毎朝父が朝食の前に自宅の仏壇へ手を深く合わせていたのを見ておりました。ある時私はこう父に尋ねました。「何でそんなことをしているの?」と。 すると父はこう答えてくれました。「戦争で亡くなった人たちの為に手を合わせているんだよ」と。


父が述べた所では、味方だけでなく、敵だった人に対しても同様に手を合わせているのだということでした。仏壇に跪く父の背中を見て、私は父の周りに死の影が漂っているように感じました。


父は亡くなり、父が持ち去った記憶、私が全く知りうることのない記憶も父と一緒に亡くなりました。ですが、父にまとわりついていた死の存在感は私の記憶に残っています。これは父から受け取った数少ないもののうちの一つです。そして最も大切なものの一つなんです。


今日私が皆さんに伝えたいことはたった一つです。私たちは皆人間であり、国家や人種や宗教を超えた存在であり、「システム」という名の堅固な壁に直面した脆い卵なんです。どこから見ても、私たちに勝ち目はありません。壁はあまりに高く、強固で - あまりにも冷たいのです。もし勝ち目があるとしたら、それは自分自身と他者の魂というのがただ一つのかけがえのないものであることの価値を信じることから、魂をお互いに繋げることで得られる暖かさから見いださなければならないでしょう。


もう少しこのことについて考えてみてください。私たち一人一人には、手で触れることができる生きた魂というものがあるんです。「システム」にはそんなものはありません。「システム」が私たちを利用するなんてことを許してはいけないのです。「システム」に意志を持たせてはいけません。「システム」が私たちを作ったのではありません。私たちが「システム」を作ったのです。


わたしが申し上げたかったことは以上です。


エルサレム賞を頂き、感謝しております。世界中多くの場所で私の本が読まれていることをありがたく思っております。今日この場であなた方へのスピーチをする機会を与えてくださり、ありがとうございました。

もっと脚注や色々書きたいことはありますので、あとで追記という形で色々と訳の手直しや書きたいことを書いていこうと思います。ただ一つだけ別エントリーで書きたいことの導入というか、次回予告的なことを書いておきます。

マスコミの皆様、オバマ米大統領の演説を特集するなら、この村上春樹のスピーチの特集もやらないとバランス悪くないですか?

【3月10日(火) 追記】

  • 親の知人の同時通訳経験者に添削してもらい、直してもらったところを訳に反映させました。添削してくださったIさん、ありがとうございました。
  • 3月10日発売の文藝春秋4月号に村上春樹氏の独占インタビューが掲載されたので、興味がある人は見てみるといいと思います。出来る限り早く、文藝春秋でのインタビューと絡めた記事をブログにあげるつもりです。