プログラマ行進曲第二章

主にソフトウェア関連の技術をネタにした記事を執筆するためのブログ

ぼくらは【完成品の作り方】じゃなくて、【不細工なものでも作っていいんだという心構え】を知りたいんだって! その1

ブログを始めたときもブログ更新を再開し始めた最近になっても結構感じることのひとつに、「ブログの記事は完成度が高くないといけない。内容もまとまってないといけない」という強迫観念というか、プレッシャーみたいなものがあります。私の性格的なものも手伝っているのでしょうが、どうしても「どこに出しても恥ずかしくない出来で書きたい!」という意識が出てきてしまいますね。そこまで強い意識でなかったとしても、「読む人に分かりやすく書こう」とか「言いたいことが伝わるように書こう」という思いは頻繁に出てきます。多分、この記事を読んでいる皆様も、自分のブログだったり、提出するレポートなどを書くときには同じ気持ちになることがあると思います。

「完成度を高くしたい!」っていう思い自体はいいものだと自分でも思うんですけど、この気持ちが時として…というよりほとんどの場合、重荷になってくるのが厄介なんですよね。特にブログの場合、一つのエントリーの完成度を高めようとすると、「文章が長くなる」→「一回じゃ書ききれない分量になる」→「すぐに記事をアップできなくなる」→「更新頻度が下がる + 更新意欲がなくなってくる」→「ブログの更新が停滞する」というコンボが決まってしまうので、「完成度を高くしたい!」という気持ちと「もの(この場合はブログのエントリー)を仕上げる」という行為のバランスを上手く取ることが肝要だなと最近はヒシヒシと感じます。

で、ここからが本題なんですけど、世の中には【完成品】ばかりが溢れかえってるって思いませんか?

ここで言っている【完成品】というのはほぼ文字通りの意味です。電気店で売っている家電製品みたいな高価なものだけでなく、スーパーで売っている惣菜などの食料品、書店で売っている書籍、百貨店内で売っている文房具やノートなど、「(お金を払って交換する必要があるくらい)完成されたもの」くらいに捉えてください。

最近私が感じるのは、“世の中に【完成品】ばかりあってあまりにもそれが当たり前になっているが故に、私のような素人がブログを更新するといった広い意味での「ものづくり」をしようとするときにですら、【完成品】と同じクオリティを自他ともに要求するのが当たり前になってきてしまい、こういった風潮があるために「ものづくり」に挑戦しようとする人が挫折しやすいのではないか?”ということです。

書きたいことにまだ到達してないですけど、「ちょっと長くなってきた + 完成度高めようとしすぎて息切れしそう」なので、この続きはまた次回に書こうと思います。