村上春樹インタビュー『僕はなぜエルサレムに行ったのか』で、『アンダーグラウンド』で、『約束された場所で』みえたもの

村上春樹氏のインタビューが載っているということで、普段は買っていない『文藝春秋』の4月号を買ってきました。

「僕はなぜエルサレムに行ったのか」という題で『文藝春秋』が村上春樹氏にインタビューしたと知ったのは先日の午後。はてなブックマーク経由でasahi.comに掲載された記事を見て知りました。以前、当ブログで村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチの全文を訳したこともあり、「これは買うしかないな」と思い、発売日当日に本屋に行き、散歩の途中で寄った公園のイスに腰掛けながら街頭インタビューを読みました。

結論。村上春樹って小説家だ」ということを再確認しました。え? そんなこと、当たり前じゃないかって? そう感じた人は『文藝春秋』4月号の村上春樹インタビューを一度読んでみるといいと思いますよ。なんなら立ち読みでもいいですから、いえ、出来れば買って読んでください。買って、ね。

とは言っても、どうせ該当インタビューを読まない人が多いでしょうから、私なりに「ここがポイントだ」というところを引用しながら、エルサレム賞受賞時に村上春樹氏がスピーチで語ろうとした(と私が感じた)事に迫っていきたいと思います。

ちなみに、私は村上春樹氏の著作をそれほど読んではいません。最初から最後まで読んだのは、『風の歌を聴け』『神の子どもたちはみな踊る』『アフターダーク』『アンダーグラウンド』『約束された場所で』(最後の本だけ一部未読)くらいなので、色々「読みが足りない!」という箇所があると思いますが、ご了承ください。

"The System"-「システム」、"soul"-「魂」

私が『文藝春秋』4月号の村上春樹インタビューで一番取り上げたいのは以下の部分です。引用が長くなりますが、少々おつきあいをお願いします。

文藝春秋』4月号 p166,168より

 人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。そのほうが楽だからです。迷うこともないし、傷つくこともなくなる。彼らは魂をシステムに委譲してしまうわけです。
 オウム真理教事件がその典型です。僕は地下鉄サリン事件の被害者にインタビューして『アンダーグラウンド』を出した後、信者たちからも話を聞いて『約束された場所で』にまとめました。その後も東京地裁、高裁に通って裁判を傍聴しました。実行犯たちはもちろん加害者であるわけだけど、それにもかかわらず、僕は心の底では彼らもまた卵であり、原理主義の犠牲者だろうと感じます。僕が激しい怒りを感じるのは、個人よりはあくまでシステムに対してです。
 彼らは自我をそっくりグルに譲り渡し、壁のなかに囲い込まれ、現実世界から隔離されて暮らしていました。そしてある日、サリンの入った袋を与えられ、地下鉄の中で突き刺してこいと命じられたときには、もう既に壁の外に抜け出せなくなっていたのです。そして気がついたときには人を殺して捕えられ、法廷で死刑を宣告され、独房の壁に囲まれて、いつ処刑されるかわからない身になっている。そう考えると寒気がします。BC級戦犯と同じです。自分だけはそんな目には遭わないよと断言できる人がどれだけいるでしょう。システムと壁という言葉を使うとき、僕の頭にはその独房のイメージもよぎるのです。

(赤字・太字処理は管理人によるもの)

前後の文脈を読んでいないと本当には理解できないだろうということを承知した上で、上記に引用した部分が『文藝春秋』4月号の村上春樹インタビューの骨格を為す部分だと私は感じました。そう感じた一番の理由は、(引用部分でも述べられていますが)『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』という2冊の本とエルサレム賞受賞時のスピーチが密接に絡み合っていることが示されているからです。

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)


約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

上の2冊を読んでみるとわかるのですが、「地下鉄サリン事件」をある視点から見てみると、それは決して「オウム真理教が起こした異常で特別な事件」というだけでなく、「システムに取り込まれた人なら誰もが犯してしまいかねない事件」という側面を持っていることが見えてきます。

『アンダーグラウンド』では「サリンという非日常の被害を受けながら、『昨日無理したから調子が悪いんだな』というように(半ば無理矢理に)納得してしまい、自身の不調を見逃してしまうといった人間の心の動き」や「社会(=システム)の中で動き、その動きを円滑にするために自身の不調を感じ取れなくなってしまった現象」といったことを、『約束された場所で』の中では「最初は良き要素も含んでいたかもしれない集団、しかも大多数が(ある意味)普通の人の集団だったのに、システムが独走し、システムが人を取り込んでいく過程でどんどんおかしくなっていき、しかもそのおかしさを集団の外の人が中の人に有効に示す手だてが無くなっていく様」といったことが描かれています。詳細は2冊の本を読んでみてほしいのですが、この様ははっきりいって悪夢です村上春樹氏もインタビューで言っているように、「自分だけはそんな目に遭わないよ」とは誰も言えないと私は思います。

村上春樹氏がエルサレム賞受賞時のスピーチで「壁」と「卵」、そして「システム」の話しをしたのは、『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』に代表されるテーマ、つまり村上春樹氏が小説を書く上で常に取り組んでいるテーマ」と「現実」が重なったから「普段から取り組んでいるテーマ」と「現実」が繋がっていることを示すのに最適な場所だったからだと私は考えています。そこにはイスラエルの政策に対する批判も含まれているでしょう(実際、インタビュー内で明言されています)。だけれど、見過ごしてはならない(と私が考える)のは、システムが引き起こす様々なことや人がシステムに取り込まれてしまうといったことは「どこでも」「誰でも」起こりうるという視点ではないでしょうか? そう言った視点を持って初めて、インタビュー内で述べられている「連合赤軍事件」の話しや「正論原理主義」が怖いと(村上春樹氏が)思う理由、スピーチで村上春樹氏が語った父親の話しの意味を受け止めることが出来るのだと思います。

私とは別の切り口(=「正論原理主義」)からインタビューの内容を考えた方もいらっしゃるようなので、是非こちらも見てください。

このエントリーを読んで興味を持たれた方は、是非件のスピーチだけでなくインタビューも全て読んでみて、色々と考えてみることをお勧めします。