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ぼくらは【完成品の作り方】じゃなくて、【不細工なものでも作っていいんだという心構え】を知りたいんだって! その3

管理人お勧めエントリー

前回の記事の続きです。

前回の記事の中で私はこう述べました。

一言で結論じみたことを述べてしまえば、「送る or 送られるものによっては送り手側も受け手側も『不完全なもの』、『未熟なもの』を許容していく姿勢が必要なのではないか?」ということです。

現実にどうなっているかという調査を抜きにすると、私の印象では「ものを作りたい」と思っている人は潜在的にかなりいると思います。ですが、こういった人の大半は(私と同じく)「作りたいものが分からない」という悩みと同じくらい「完成度の高いものでなければ世に出してはいけない」というある種ネガティブな意識があるのではないかと思うのです。

勿論、こういった意識がプラスに働いているなら問題ないのですが、多くの場合、「完成度の高いものでなければ世に出してはいけない」という意識が、いつの間にかに「まだ世に出すときじゃない」「まだ不十分だ」「これくらいで出したら恥ずかしい」など、発表から遠ざかる方向になってしまうと思います。特にここ最近は世の中に質の高い【完成品】がどんなジャンルにも存在し、そんな【完成品】の存在をインターネットで簡単に知ることが出来るようになったため、送り手側になりたい人は上記のようなネガティブな思考に陥りやすくなっているのではないでしょうか?

こんなことをまあ、前回の記事で偉そうに書いた訳です。そう書いた本人が見事に上記のネガティブ思考に最近陥ってしまい(笑)、「これは今回のテーマと関係あるからちょうどいいや!」と思ったので、今回は最近ネガティブ思考に陥ったときのことを絡めて書こうと思います。

私が上記のようなネガティブ思考に陥ったのは、下のエントリーを書こうとしたときのことです。

このエントリーを書こうとしたのは、村上春樹氏のエルサレム賞受賞時のスピーチに(わかりやすい言葉で言うと)感動したから書いたのですが、そのあたりのことは別のエントリーに譲ります。とにかく村上春樹氏のスピーチに感動したから「自分で訳してブログに書こう!」と思って訳に取りかかったのですが、それからが長かった…

実際に訳し始めてからブログにあげるまで4〜5日くらいかかりました。何故これくらいの時間がかかったかというと、以下のような理由があったのです。

  1. 純粋に英語力の問題で、文法的に分からない所があったこと。
  2. 翻訳技術の問題で、英語の意味・構造は理解できても日本語として通りの良い構造に訳すのに難儀した箇所があったこと
  3. 村上春樹氏のスピーチが深すぎるため、)訳す際は全体の流れを見渡しながら単語一つ一つを丁寧に選ぶ必要があったこと
  4. 私が訳に取りかかった時点で既に多くの人が村上春樹氏のスピーチ全文を訳しており、その人たちの訳を参考にして、なるべく間違いがないように気をつけたこと

上に挙げたのはどの問題も非常に厄介でしたが、特に2,3,4の点が非常にキツかったです。そして今回の書きたいことに直結するのもこの2,3,4なんですよ。どういうことかというと、上に挙げたもののうち、1というのは「終わりがある作業」、2,3,4というのは「終わりのない作業」でした。

上の1の場合、文法的な構造を理解してしまえば「終わり」という作業ですが、2,3,4は違います。今回の場合、「翻訳」という作業を行なった訳ですが、「翻訳」という作業には基本的に唯一絶対の答えはありません。そういった意味で、2,3には「終わり」がありません。4は少し特殊で、一般論では「間違いがない」という状態に持っていく作業に「終わり」がある場合が多いかと思います。しかし、この村上春樹氏のスピーチの場合、内容の解釈の幅が大きいため、大きな意味では「間違いがない」という状態に持っていくのには「終わり」がなかったのです(少なくとも私はそう考えています)。

そんな「終わりがない作業」に私はかなり時間を取られました。というより、その作業に全ての時間を使ったと言ってもいいくらいです。簡単に言うと「一通り終えた気になる」→「時間が経つと粗が見えてくる」→「粗が見える部分を手直ししたくなる」→「手直しを始める」→「一通り終えた気になる」→(…以下ループ)…という風になりました。このループが私が陥ったネガティブ思考の正体です。特に今回の場合、納期なんてものはありませんでしたから、簡単にこのループにはまりましたね〜。自分でも信じられないくらいでした。

こんな体験をした後、こう思ったんですよ。

「ものつくりとか創作って、この終わりのない作業の最たるものなんじゃないか?」と。

読者の方にはあまりピンと来ない話しかも知れません。私も村上春樹氏のスピーチを訳してみるまでそうでした。今回の経験をしたことで終わりのない作業がどれほど大変で、深い作業であるかということを少しは理解できたと思います。

この「私の個人的な体験」と「ものつくりや創作」に共通することに関してもっと書くことはありますが、本エントリーだけで書こうとすると、それだけで「終わりのない作業」になってしまうので、この続きはまた次回に書いていきます。